究極の趣味、ライフワーク。
だから、「弾く」ことに関わる自分が学ぶ環境においては
私が主人公として、プライオリティを決めたいです。
弾くことでは義務や責任でなく、自由に自分が楽しく充実を感じたい。
どちらかというと、癒しでしょうか?
心の糧といいますか。
私は、私の楽しみの為にピアノを弾いてます。
一方、レッスンは趣味ではなく、仕事。
教える責任のもとに、スキルアップしていかなくてはいけません。
そういう意味では、ピアノ演奏を磨く、追求していく趣味は、レッスンにはとても役立つわけです。
密接な関係の、弾くと教える。
例えば、この一線を超えないと次のステージには行けない。
納得しないと、大人でもなかなか努力できないもの、、、、、言葉だけでは伝わらない次元のお話です。
それを
レッスンで教えることで伝える
ピアノ演奏で伝えられる。
そんな風に出来れば
「弾くと教えるをわけない」先生。
なかなか、出来ないことだと思います。
でも
目指すことをやめたら
妥協したら
まず、自分が楽しくない。
指導者ライセンス、もちろんレッスンする上での沢山の学びがあり、これまで教えてくださった先生方の教えにも新しく気づきがありました。
「学び直す」過程で、45歳からでも世界が広がるんだと思いました。
そして今
もっと学びたい原動力となっているもの
それは
何より「ピアノが演奏できるって何て楽しいのだろう!」
指導者ライセンス全級合格したあと、その気持ちに気がついた事が、一番の「たからもの」だったのかなと最近思います。
「ピアノの先生は、ピアノが上手じゃなきゃダメよ」以前、樋口先生がおっしゃっておられましたが
これはシンプルだけれど、色んな意味を内包していると思います。つまり言葉では説明できない真のレガート、そのフレーズに合う発音、響きの重ね方、連打の持つ躍動感。
ピアノ演奏を音楽を追求している先生なら、その美しい一音を、音色で伝えることができる、そういうことだと考えます。
ピアノ演奏に必要なことは「私自身」が主人公。
ピアノ指導者に必要なことは「生徒さん」を主人公に考えている。
主人公が違うから
色んな選択肢において、考え方において
相反する部分もあるけれど
相互作用があり、とても楽しい学びがあります。
音楽に関することにはきちんと、、、
私という主人公あってのピアノではなくて
つまりピアノ(目の前にある音楽)が主人公。
「弾くと教える」を分けないとは、そういうことかな、と。
私が主人公の「弾く」を整えるヒントがある、と感じています。